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TOURO ―桐輅―

『狡猾な狼』
ハティーが月を飲み込むとき、天と地が血潮で真っ赤に染められ、スコールが太陽を飲み込むとき、永遠の闇が訪れる。
 -ゲルマン神話より-

 ゆらゆらと、灼熱の日光に照らされて、アスファルトの上から陽炎が昇っている。

 例年にもまして、記録的な猛暑だと、ここ何年か毎年のようにニュースでいわれて続けている。一体「記録的な猛暑」は何年連続で続けば気が済むのか。

 同僚が無線で「アスファルトの上で目玉焼きが焼けそうですね。」なんて笑えない冗談をいってきたのは、ほんの数分前のことだった。

 テッキは、額ににじむ汗を手の甲でぬぐって、上層部から合図がくるのを静かに待った。

 空は快晴。雲ひとつない青空である。

普段だったら、彼女の様な上の人間は、簡単なことでは動かない。冷房の効いた部屋で、上等のソファーに座り、リーダーにあれやこれやと指図する側である。…特別な事件が起こった場合を除いては。

 彼女は、主に政府・警察などの重要事件などの解決をサポートする私営企業「TOUROカンパニー」に属する、超エリートなのだ。この会社のなかでも、彼女は中心的存在として、位置している。

 この会社に来る依頼は基本的には、普通では解決できないようなものばかりだが、その中でも彼女は、「最終兵器」や「魔王」と言う異名を持つ。

 テッキは、人のにぎわう路地を少し外れ、もう使われなくなった、かつてのオフィス街…端的にいうとスラム街にいた。

 テッキの二つの瞳の先には、一つのアパートがあった。少し古臭い、二階建てのアパートだ。

 彼女は、小型に改良したオートマテックの銃を懐から取り出した。静かに両手で握り、あたりを警戒する。周りには、人の気配はない。猫一匹歩いてはいない。

「こちらテッキ。シコンさん、ほんとにここでいいの?」

テッキは無線を取り出して、上層部に連絡を入れる。

『…私の計算にまちがえがあるとでも?今、そちらにジュンヤくんとセキトさんが向かっている。もっと援助が欲しかったならば、電話回線をぶっちぎって、私が参戦してもいいわよ?』

イヤホン式の無線の奥からは、冷ややかな女性の声が響く。

「いやいやいや、シコンさん怒らないで〜。アタシはただ、そういうつもりはなくって…。というかシコンさんの計算が速すぎるのよ。例の「狡猾な狼」が三度目の被害者を出して逃走したのが今から約一時間前。そのあとを警察たちが追っているけれど、逃走経路がここのアパートに逃げ込むだなんて、誰が予想するってのよ。事件現場からここって、十キロメートル以上も離れているし、普通だったら、たった一時間でこられるはずないとおもうんだけど。」

テッキはそういってから苦笑した。

『…てっちゃんの足だったら、走れば何とかこられると思うけど?』

「うん、まぁ、そうなんだけどさ。…そんなにそいつって強いわけ?」

『まぁ、A級指名手配犯だしね。素早い分、ジュンヤくんより少し強いくらいかな?…私とさしで勝負するよりましだと思うけど…。』

「シコンさんと勝負?!そんな、冗談でもきついよ〜。」

引きつった顔で、テッキは笑って見せた。

無線のむこうの女性は冗談のつもりだったのだろうが、テッキには冗談でも、かなりきつかったらしい。考えただけで額に汗をかいてしまっていた。

『そろそろ切るね。…すぐ近くまで来てるわよ。』

そう少し冷たく言い放たれて、無線がむこうからぷつんと切れてしまった。

 その瞬間から、重い空気がその場を支配した。

 …すごい殺気…。

 テッキは息を呑んで、あたりを再び警戒した。これは相当やばいと、自覚し始めたのだ。オートマの安全装置を解除する。これでいつでも発砲可能だ。運がいいことに、ここ一体には、民家がなく、民間人はいない。まぁ、つまり、やりたい放題できるということだ。

「!」

後ろから人の気配を感じた瞬間、どんっと何かがぶつかってきた。素早い身のこなしでテッキは銃を構えるが、その手が一瞬とまった。彼女にぶつかってきたのは、鳶色の髪の少年だったからだ。しかし、よくみると少年の両手は腕のほうまで真っ赤に染まり、手先には、片手に一つずつ、ごついカッターが握られていた。

 テッキは再び銃を構えなおそうとしたが、少年の動きのほうが早かった。びゅっという空を切る音が響く。仕方なく、テッキはそれをぎりぎりのところでよけた。

 この少年は、一体何人を殺してきたのだろうか…?

 同僚のジュンヤより少し素早いぐらいだといっていたが、少しどころの話などではない。

この速さって…まさかシコンさん並?!

空を切る音と共に、当たってもいないはずなのに、腕につっと血がにじみ出た。

少年の手先がよく見えない。速すぎる。このままでは分が悪いと判断したテッキは、後方に跳んで、距離をとった。
しばしの間、沈黙が走る。
もし下手に動いたら、相手の少年は、自分が銃弾を打ち込むよりも早く、自分ののど笛を書ききるかもしれない…。しかし、自分にはまだ勝機がある。
テッキは口元に不敵な笑みを浮かべた。少年の瞳にも、彼女のその表情の変化が映っていた。
美しい彼女の漆黒の瞳に映し出された自分の姿。なんて…悲しいのだろうか。
「ふっふっふっふ…。」

テッキは笑いをこらえきれずに、とうとう大声で笑い出した。その様子を見て、少年で少々唖然とする。

「ほーっほほほほほほほほ!かかったわねっ!」

少年は、なにがやねん、といいたそうにテッキの顔をにらんだ。

 テッキは銃をおろし、びしっと右手で少年を指でさした。少年は隙を付いてテッキに切りかかろうとしたが…体が金縛りにあったように動かなかった。

 その様子を見て、テッキは、満足そうな笑みを浮かべている。
 そして、テッキは高々と黒い皮ブーツの音を鳴らして、動けなくなった少年に近づき、カッターを奪い、そして背中から手錠を取り出し、両手にかけた。

「何されたか聞きたい?ボウヤ。」

くすりと笑い、テッキは動けなくなった少年を見下すようにしてから、少年のあごに手をかけた。

そのとき、少年を追ってきていた警官隊たちがぞろぞろとやってきた。

テッキは思わずちっと舌打ちをすると、いかにもいやそうにそれらの役立たずたちを見据えた。

 警察の偉そうなおじさんが、息を切らしてテッキに近づいてきた。テッキは黒革のタンクトップジャケットからTOUROの身分証明書を取り出し、

「アタシは、TOUROカンパニーの者です。コバヤシ社長から連絡が入っているかとは思いますが、この少年の身柄は当社が預かります。書類などは後日県警のほうにおくりますので〜。」

 にっこりとテッキは営業スマイルをみせる。

 しかし、警察のほうでは、こんな小娘に手柄を取られるのが少々納得がいかないのだろう。食い下がってきた。

「しかし、われわれは…。」

そこまでいいかけたとき、後ろから警察の親父を退けて、背の高い青年が間に割り込んできた。

「はいはーい。おにいさん、これ以上TOUROに突っかかると、首なっちゃいますよぉ〜。」

色素の薄い髪と瞳。青年の口元は笑っているが、めがねの奥の目は笑ってはいなかった。

 その後ろからは、ボーイッシュなまだ少女の雰囲気を持つ若い女性が付いてきている。

 少々不満そうに、すごすごと逃げていく警察の皆さんを見送ったあと、テッキは、おそーい援軍二人を見据えた。

「何でもっと早く来なかったのよ。アタシを見殺しにしようと思ってたの?」

それに青年の後ろに隠れていた夏用フォーマルスーツに身を包んだ、テッキのよきライバルでもある同僚、ジュンヤが反発した。

「いや、そんなんじゃないよっ。えっとただ…。」

「なによ。」

「てっちゃんだったら、これぐらい何とかなるかな〜とか、思ってただけだよ。」

それをきいて、テッキはジュンヤの胸倉をつかむ。

「ぬわぁ〜にが何とかなるかな〜よ!こっちは本当に死ぬかと思ったんだからっ!」

すごい剣幕でそういうと、ジュンヤは今にも泣きそうな表情に変化した。

「あぅ…、ごめんね。もうちょっと早くこれればよかったんだけど…。」

テッキはジュンヤが反省しているようだったので、これ以上は何も言わないで、手を離してやった。

「それにしても、こんな少年が、A級殺人犯だなんて…。」

二人の様子を黙ってみていた青年、セキトは、唖然とした表情で、ずーっと会話に混ぜてもらえていなかった少年を見下ろした。少年は、まだテッキの眼力(金縛りのような特殊能力)が効いているため、まだ動けずに、その場に立っていた。

「ほんとよね。アタシはてっきり、ダンディーなおじ様だと思って期待していたのに。」

ふうっとテッキはため息をついた。

 それはテッキの趣味だろう、とジュンヤとセキトは突っ込もうとしたが、後が怖いのでやめておいた。
「じゃあ、おれがこの子を担ぎますね〜」

そういいながら、セキトは血まみれの少年をお姫様抱っこで持ち上げた。

「うん、そうね。そうしてもらおうかしら。」

少年はいやそうにばたばた身動きをしようとしていたようだが、ほとんどからだが動かなかった。

「よくみると、結構かわいい顔してるね、この子。」

「セキトさん…なんかうれしそうだね…。」

苦笑いでジュンヤがセキトに突っ込む。セキトは、そう?といって薄笑いを浮かべた。

「あっいけない、こんな時間だっ!」

テッキがふと腕時計を見て、叫んだ。

 二人は、不思議そうな顔をして、たずねた。

「どうしたの?てっちゃん。」

「どうしたもこうしたもないわよっ!あと2時間で東京に行かなきゃ!もぉ〜、もっと早くに仕事が終わると思ってたのに〜っ」

きょろきょろとテッキはタクシーを捜しているようだが、こんなところにタクシーなどとおらない。

「仕方がないわね〜、田舎はっ!セキトさんはこの子を本社まで連れて行って。ジュンヤは部長とシコンさんに詳細報告しておいてっ!」

そういっている間に、テッキはどこからか取り出したのか、手鏡と口紅を取り出して、化粧を直した。

「部長はともかく、シコンさんにはどういえばいいの?」

「んー、そうね、コンサート終わってから、個人的に連絡は入れるわ。あ、ジュンヤが思いっきり頑張ったら、シコンさんの機嫌よくなるかもな〜。とりあえず、二人とも頼んだわよっ!」

頑張るってなにをですか?と突っ込みを入れる前に、テッキはひらひらと手を振って、シコン曰く、「目玉焼きが焼けそうなコンクリートロード」のかなたに消えていった。


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